2012年04月27日

繊維のにおいと共に生きる【第2話】

子供の頃の写真を見ると私と4歳下の妹の着ている服はほぼ100%母の手作り服です。

驚くほど色んなデザインの服があります。
ワンピースでもスーツでも何でも作っちゃう母は当時当たり前(^^;)と思っていましたが良く考えるとすごい人だと言う事に最近気が付きました(笑)

基本、母は型紙は引けません。雰囲気で生地を裁断して雰囲気で縫い上げてしまうのです。

有り得ません。4年間洋服の勉強をした私ですが、はっきり言って「私には無理」です。

しかもきっちり体に沿ったスーツが仕上がるのです。しかも可愛い。

何かを縫っている母の姿が子供の頃の原風景にあります。

紳士服の工場と小売店をいくつも経営していた父の手伝いとして家で直しやネーム付けなどもやっていたと思います。

私の小学校1年生の1学期までは大阪府の守口市と言うところに住んでいました。

父が大阪に出て来て稼いだお金で建てた家です。

父の商売は非常に順調でどんどん従業員も店も増えて行きました。

それで今度は大阪府枚方市(ひらかたし)の『くずは』と言う所に大きな家を買う事になりました。

引っ越した最初の日の光景をなぜか今でも良く憶えています。

母と妹と弟と私、4人でお風呂に入っている光景。前の家と比べてお風呂も大きくなったので4人で入るのも楽勝だったのでしょうね。今でも憶えていると言うのはそれが嬉しかったのかもしれません。

もうひとつは、1階の座敷で従業員さん達を集めて開いた大宴会の光景。

2つの和室をつなげてテーブルを並べて、母手作りのご馳走が並び、ビールも並び、そこに座って談笑している沢山のお兄ちゃん達。

お酒に酔ったお兄ちゃん達が大暴れしていた光景、父と私も入って開かれた賭博場(笑)、ビールの匂い。

1万円札を小さく正方形に折りたたんで耳に挟むんですよ。賭博の時って。

その方法を6歳の私に教える父も父です(^^;)

私はそのお兄ちゃん達に「奈美ちゃん」と呼ばれていました。

でも考えてみると我がままになるはずですよね〜。

こんなお嬢様生活していたんですから。

でもいい事はいつまでも続きません。昭和48年、オイルショックが私達のすべてを変えました。

(第3話に続く)


☆おまけのお話☆
1万円札を耳に挟む話を書きましたが、当然の事ながら母はその事をものすごーく嫌がっていました。

おとなしい、父には絶対逆らわない母ですがこの事だけは父に対しても苦情を言っていたようです。

そんな父に仕込まれたせいで私は二十歳になる頃まで鉛筆を耳にはさむクセがありました(笑)
もちろん、家でしかしませんが。

その姿を母にみつかったら大変。「ばくち打ちみたいな事して!」って良く怒られていました(^^;)


posted by まりんぼ at 16:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 繊維のにおいと共に生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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