2012年04月11日

繊維のにおいと共に生きる【第1話】

てくまりんぼ原田奈美子です。

私は生まれた時から繊維の匂いに囲まれて育ちました。そして今も繊維に囲まれています。
こうなったら(笑)一生繊維と共に生きて行く、そんな覚悟が出来てきた今日この頃です。

自分の生い立ちを思い返すと結構面白いので今回書いてみようと思いました(^^)

長くなるのでシリーズでお届けします。ごくタマに(^^;)更新しますので読んで頂けると嬉しいです。

今日は第1話です。

父は今から60年ほど前、長崎から大阪に出て来ました。繊維の町船場で丁稚奉公からスタートしたそうです。

修行を積んだ後、独立。

貯めたお金で家を買い、彼女(後の母)を長崎に迎えに行き、結婚。
自宅の1階で紳士服の縫製卸業を初めました。

私が生まれたのもその頃です。

父は福沢諭吉を尊敬する根っからの商売人。

職人ではありませんのでたくさんの職人さんを住み込みで雇っていました。
作った背広をあちこちの小売店に売りに行くのが父の仕事でした。3輪オートにまたがる父の写真が残っています。

1階が縫製工場、2階が自宅でした。私が小学校に上がる頃までそんな生活だったと思います。
夜中、寝ている職人さん達を踏まないように(^^;)1階のトイレに行った事をなぜか良く憶えています。

紳士服の生地の匂い、ウールは蒸気を当てるとさらに匂いが立ち込めます。

ミシンの音。ザクッ、ザクッと言うハサミの音。

生まれた時から私はその匂いと音に囲まれていたのです。

とても働き者の父ですからやがて商売も大きくなり工場も自宅とは別に持ち、小売業も始めたので大阪市内に店舗も持つようになりました。
その頃になると父の乗り物も3輪オートから軽自動車に変わりました。

『森崎商店』と書いた車の横ででっかいお人形と手をつないで立っている私の写真が残っています。

本当にでっかいんです。80センチは有ったのでは無いでしょうか。
手をつないで歩くとその人形はなんと!一緒に歩くのです。

そのお人形の服は母が縫ってくれていました。

母は長崎で洋裁学校に行っていましたので服を縫うのはお手の物。
子供の服は全部母が縫っていたと思います。

(第2話に続く)


posted by まりんぼ at 15:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 繊維のにおいと共に生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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